『正欲』朝井リョウ*多様性の枠から外された人々の苦しさを描いた傑作

本のはなし

お久しぶりです、たれみみです(^^)/

今日はこちらの本を紹介します。

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『正欲』朝井リョウ*多様性の枠から外された人の苦しさを描いた傑作

作品情報

著者:朝井 リョウ

出版社:株式会社新潮社

発売日:2021年3月26日

本の長さ:379ページ

あらすじ

”多様性”が叫ばれる現代。検事の啓喜は息子が不登校になり社会のレールから外れていくことを心配する。ショッピングモールの寝具店で働く夏月は他人に言えない性的志向を抱え、社会からの疎外感を感じている。大学祭実行委員の八重子は男性へのトラウマを抱えながらも初めての恋に気づく。3人とその周辺の人々が少しずつ交わっていく物語を通じて、マジョリティが叫ぶ”多様性”に含まれず、知らず知らずのうちに排除され続け苦しむ人々の姿を描いた群像劇。

”多様性”という言葉は綺麗事?

ここ数年で”多様性”という言葉は本当によく聞くようになりました。

それ自体はとてもいいことだと感じます。

私自身も”子なし夫婦”がマイノリティだと自覚しており、「もっと多様性が認められる社会になったらいいな」と常々思っています。

ただ本書を読んで、自分が考える”多様性”というのは、あくまで自分が想像できる範囲内でしかない綺麗事だということを、まざまざと突きつけられました。

冒頭数ページでこのような文が出てきます。

多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさがあると感じています。自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。これらは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる”自分と違う”にしか向けられていない言葉です。想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉です。

鈍器で頭をガツンと殴られたような感覚になりました。

自分は”多様性”という言葉をとても表面的に、都合よく使っているんじゃないか?と考えさせられました。

マジョリティが設定する”普通”の枠に入れない人々

本書の全体的な雰囲気は重めです。

登場人物が社会=マジョリティが言う”普通”の範囲に入っていない自分自身について悩み、その悩みを打ち明けることすらも社会から許されていないように感じ、一人でただただ抱え込む姿はとても苦しいです。

ショッピングモールで働く夏月の心情を表した場面がこちら。

夏月は、相変わらず自分にはしっくりこない空調の中で、サンドイッチを口に詰め込む。よく考えれば、空調が合わないなんてどうってことない。そもそも、この世界が設定している大きな道筋から自分は大きく外れているのだから。

マジョリティが設定している”普通”から外れている疎外感がひしひしと伝わってきます。

ただ、ずっと重い空気が続くわけでなく、苦しさを分かち合える存在と少しずつ繋がる様子も描かれています。

そこは希望を持てて「こんな繋がりがもっともっと拡大すればいいのになぁ」と思います。

著者の朝井さんが本書に寄せたコメントがこちら。

生きることと死ぬことが目の前に並んでいるとき、生きることを選ぶきっかけになり得るものをひとつでも多く見つけ出したくて書きました。朝井リョウ

うん。本当に「生きることを選ぶきっかけになり得るもの」が本書の中にはある。

マジョリティに苦しめられる登場人物たちは「明日、死なない」ためになんとか繋がり必死に生きようとします。

でも、それをまたマジョリティの人々が邪魔するんですよ・・・

それがもうなんか、すごくもどかしいし、切ないし、胸糞悪い(ノД`)・゜・。

抱える辛さの大小は他者に測れない

「差別をしてはいけません」「偏見を持たずに接しましょう」

小さい頃からよく聞いてきた言葉ですが、それってなんだか、自分が常にマジョリティで差別や偏見をする側・しない側であるかのような言葉ですよね。

2人の登場人物による言葉がこちら。

まとも。普通。一般的。常識的。自分はそちら側にいると思っている人はどうして、対岸にいると判断した人の生きる道を狭めようとするのだろうか。多数の人間がいる岸にいるということ自体が、その人にとっての最大のアイデンティティだからだろうか。だけど誰もが、昨日から見た対岸で目覚める可能性がある。まとも側にいた昨日の自分が禁じた項目に、今日の自分が苦しめられる可能性がある。

「拒絶しないって何だよ。関係ねえんだよお前が拒絶するかどうかなんて。なんでお前らは常に自分が誰かを受け入れる側っていう前提なんだよ。お前らの言う理解って結局、我々まとも側の文脈に入れ込める程度の異物か確かめさせてねってことだろ」

これを読んでハッとしました。

自分は”多様性”という言葉をどこか他人事として扱っていなかったか。

”自分はマジョリティに属している”と思い込む傲慢さが潜んでいなかったか。

とある場面ではマジョリティだった人が、別の側面ではマイノリティになることなんてザラにあります。

自分もそうです。

性的志向、病気、障害、失業、宗教・・・

人生、思いもよらぬきっかけで”マイノリティ”の状態が訪れることがある。

”多様性が認められ、誰もが生きやすい社会”というのは、決して今マイノリティの立場に置かれ苦しむ人々を救済するためだけではない。

いつかマイノリティの立場に置かれる可能性がある自分自身が生きやすい社会をつくるためにも必要なのだと教えられました。

そして、マジョリティに属しているからと言って全く悩みがないわけでもない。

どんな立場の人であれ、他者からは想像できない悩みを抱えている場合があるし、抱える辛さの大小は他者からは測れません。

本書を読んで、”多様性”と言う言葉を軽々しく使うのが憚られるようになってしまいましたが・・・

それでも、言葉を慎重に扱いながら、どんな立場の人であれ、表面上だけでなく本当の本当のところ、その人の根を理解したいという気持ちは持ち続けたいなと思います。

いつか、マジョリティとかマイノリティとか、そんなこと気にしなくて良くなるといいな。

とても読み応えのある作品でした。

自分の常識が覆される感覚を味わいたい方に特におすすめです(^^♪

ちなみに映画化が決定しており、2023年11月10日から全国ロードショーです。

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