『わるい食べもの』千早茜*食に現れるその人の生き方

本のはなし

2月。だいぶ投稿が空いてしまいました。

相変わらず毎日読書を楽しんでいます。

読んでも読んでも新しく読みたい本が出てくるので、「読みたい本リスト」が増え続けて追いつきません。

幸せなことですね。

今日は、最近読んだ本を紹介します。

『わるい食べもの』千早茜*食に現れるその人の生き方

作品情報

著者:千早 茜

出版社:株式会社集英社

発行年:2018年12月10日

「食」はその人の生き方を反映する

千早茜さんの食にまつわるエッセイです。

以前ほんタメで紹介されたのを見てから、ずっと気になっていた本。

「しろがねの葉」で第168回直木賞を受賞されて、今とても注目されていることもあり、今回はこちらを手に取りました。

まず、装画が可愛いです。挿絵も同じ方が描かれてます。

千早さんのTwitterのプロフィール画像にも同じ方の絵が使われていたので、千早さん自身もお気に入りなのでしょうか。

Twitterを拝見していると、食べることが本当にお好きのようで

日々食べられているおいしそうなものたちの写真がたくさん。

中国茶がお好きだそうで、素敵なティータイムもたくさん載っていました。

エッセイのほうでは、好きな食べもののことはもちろん、子供のころの食にまつわるトラウマ体験や食を通じた周りの方々との交流なども書かれています。

「食」ってその人の人生なんですね。

わりと好き嫌いがはっきりしている方のようで、読んでいて爽快です。

キレッキレに毒づく文章もあっておもしろい。

食への探求心と貪欲さからくるこだわり

私自身が食べること大好きなので、たくさんの食の描写にわくわくしながら読みました。

ですが、びっくりしたのは千早さんの食への探求心。

好物を伝えるのは難しい。好物であればあるほどこだわりが発揮されてしまうからだ。

好きすぎるゆえに、ちょっとしたアレンジに「なんてことしやがる」と憤りを覚え、「○○はこうでなくてはならん!」と偏屈爺みたいになっていく。

たとえば果物を食べるという行為は、皮を剥くところからはじまるそうです。

皮を剥く時にあふれる香りを楽しみながら自分の手を汚しながら食べる。

すでに他人の手によって剥かれ、切られ、時間が経過したものは果物ではなく「死体」だと称されています。

考えてみると、私は甘いもの大好き、揚げ物大好き、なんでおいしいものって身体に悪いんだろう・・・と常々考えているのですが、千早さんほど食のこだわりはなかったです。

甘いものならわりと何でも好き。コンビニスイーツもホテルのアフタヌーンティーも駄菓子屋のお菓子もおいしいと感じてしまう。(もちろんスナック菓子も好き)

多少の好みはあれど、それを「○○はこうでなきゃ」と言語できるほどのこだわりはありません。

でも読んでいて、自分の「食べたい欲求」と丁寧に向き合うって大切だなと思いました。自分はほんとうは何を求めているのか、どうすれば自分は満たされるのか。

それがわからないまま、なんとなくの気分で食べものを口に運んでいることが多いなと気づかされました。

記録にのこして記憶にきざむ

そして、久々にブログを更新しようと思ったのも、このエッセイを読んだからです。

自分の体験や記憶を綴って、それを第三者が読んで笑ったり、心打たれたりできるってすごいなぁと思ったのです。

その方の自分史がそのまま作品になるということ。

私は千早さんのようにおもしろい文章は書けませんが、日々の体験や記憶を残しておく、ということは、自分のためにも必要なことだと感じました。

日記にはよく食べたものを書く。なにを見て、なにを食べ、なにを思ったか。その日、確かに存在している自分を記録しておく。味覚も感覚も変わっていってしまうから。

どんな小さなことも忘れたくないし、なかったことにしたくない。無理だとは知っていても。

小説家という仕事も似たようなところがある。今、自分が見て、感じている世界を物語のかたちに変えて残しておこうとする。

今日もやかんに火をかけて、マグカップにはちみつ漬けのレモンを一枚落とす。湯をそそいで、パソコンの前に座る。

甘酸っぱいレモンの香りが頭をすっきりさせていく。深呼吸をひとつ。

とりこぼさないように、できるだけ正確な言葉をさがして、ゆっくりと物語をつむぐ。

1日1日を丁寧に過ごすとは、こういうことなのかもしれない。

できるかぎりで、私も日々を綴っていこう。

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